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相手とひとつになる

2016年9月1日発行分

日本人の世界に誇るすばらしいこころの一つに「共生」というものがあります。

これは相手とひとつになる、相手の幸せを考えるというこころです。
葉室頼昭先生が解説されていますが、

「ねんねんころりよ おころりよ」という江戸時代からある子守唄がありますが、

例えば外国の子守唄の場合は「眠れ、眠れ、母の胸に」というかたちで、

母親から子供に対して「眠りなさい」という意味合いが強いですが、
日本では母親と子供がひとつになって、ただただ子供が可愛いという思いから

「ねんねんころりよ おころりよ」という理屈のない言葉が出てきたということです。
何事も相手とひとつになることによって、理屈のない世界が現れてきます。

逆に対立の考えでは、決して真実の世界は現れてきません。
そして理屈のない世界に神様のいのち、知恵があるので

理屈のない子守唄を歌って聞かせることによって、いのちが母親から子供に伝わってゆきます。
昔から日本人はこのことを知っていたので、「ねんねんころりよ おころりよ」という歌が

生み出されました。
子育てにおいても子供に「○○をしなさい」と一方的に言うだけでなく、

子供とひとつになって一緒に解決してゆくという姿勢が大切です。
例えば勉強やスポーツでも、子供と実際に、一緒になってやってみることによって

子供も楽しがって取り組むようになります。
この他にも例えば、北原白秋の作詞で「あめふり」という有名な童謡があり、

以下のような部分があります。
あめあめ ふれふれ かあさんが

じゃのめで おむかい うれしいな

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン
北原白秋はこの歌を作るために、何日もひたすら雨を見続けたそうです。

そして雨と自分がひとつになって、はじめて「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」という

理屈を超えた楽しいフレーズが浮かんだそうです。
これも日本人の「相手とひとつになるという共生のこころ」から

雨とひとつになるという発想が出てきたのでしょう。
また自然環境に対しても、日本人は古来から自然とひとつになって生活してきましたので、

山や田んぼに神様をおまつりして、

山で木を切る時でも神様に「木を切らせていただきます。」とお願いしてから行ってきました。

そのおかげで今まで、美しい山や海などの自然が残されているわけです。
現代では目先の都合でダムを造ったり、山を切り崩したりと、環境を破壊していますが、

そうではなく、自然と一体になって、自然界の循環の仕組みに沿った生活をする必要があります。
雨が降り、その水が山に染み込み、栄養のある地下水が川に流れ、一定温度の水が海に行きます。

そしてその栄養のある水にプランクトンが集まり、

そのプランクトンを食べに海岸に魚が寄ってきて、それを人間が食べることができます。
しかし近年では岸辺をコンクリートで固めたりしたため、

魚が寄ってこなくなり、沖まで魚を採りに行かなければならなくなってしまいました。
自然とひとつになって生活してゆくことによって、そこに神様のいのちが生まれて、

いつまでも幸せな環境で暮らすことができるようになります。
ご先祖様がされてきたように、私達も子供には人間の都合で自然を破壊するのではなく、

すべてのものと共に生きて、自然を大切にするということを伝える必要があります。
今こそ、日本人が大切にしてきた相手とひとつになる「共生」のこころを実践するときです。
「人生で一番大切なこと」はシンプルに葉室頼昭先生が教えてくれます。

葉室頼昭先生
http://kamisamagosenzosama.com/hamurosensei.html

■抜穂祭(ぬいぼさい)

今月9月3日(土)に伊勢の神宮の祭典などでお供えされるお米を栽培する

神宮専用の水田「神宮神田」(伊勢市楠部町)にて抜穂祭がおこなわれます。
このお祭りは五穀豊穣に感謝する伊勢の神宮で重要なお祭りの神嘗祭(かんなめさい)に奉る

ご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつり、その実りに感謝するお祭りです。
過去の抜穂祭の様子はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/isesimagasuki/26505557.html
私たち日本人のいのちの源であるお米ですが、

いまいちど、この根本的なお恵みに目を向け、日々の食事に感謝することが大切です。